まいにち好きしてif
「プロポーズ」
暖花編:後編

イラスト・ミヤスリサ
文・保住 圭



 そのままの流れで、耳たぶを噛んだ。
 ひくん、と暖花は軽く跳ねた。
 洗い髪のにおい。
 おれはそれを吸い込むように、深く、いつもの形で抱き寄せた。
 そしてささやいた。

「愛してる」

 びくんっ!
 耳たぶを噛んだときよりも遙かに大きく、激しく、暖花は跳ねた。

「ぅ……」

 こらえかねたような、うめきにも似た吐息が、腕の中から漏れた。
 愛してると言ったのは、はじめてだった。

 はじまりのあの夏、あの夜、ふたり裸で抱き合いながら、「『好き』と『愛してる』は違う?」なんて話をした。
 どっちでもいいよぅ、と暖花は言った。幸せには変わりないからと。
 それから今までずっと、おれたちの夜は、「好き」という言葉の交わし合いだった。
 そうしたら、毎日だって笑っていられる。
 あの夜にそう言ったとおり、暖花は毎日、幸せそうに笑っていた。
 好き、という言葉だけで幸せになれる。
 その暖花に、おれは、まだまだいくらでも幸せになれる、と答えていた。
 暗黙の了解だったのだろう。
 あの夜からはじまった関係、共振。
 その上、先があるのを、おれも暖花も知っていた。
 だからこそ、そこにたどり着くまでは、「好き」なのだ、と。
「好き」はあの夜から今この瞬間までの形。
「愛してる」は、今この瞬間からはじまるものの形。

 だからこそ、いつも通りの夜の中、いつも通りの流れの中で、

「結婚してくれ、暖花」

 おれは再びそうささやき、そして、いつも通りに口づけた。
 ここに至る幾多の夜があったからこその、形だった。

「あの、さ……あのね、睦未……」

 ささやきが返ってくる。
 腕の中で暖花の体は熱く、ふるえている。
 おそらくおれも同じだろう。
 おれたちは共振している。
 そういうふたりなのだ、おれたちは。

「うん」
「あたし、ごめん、泣きそう、泣きそうなんだっ……だから、だから、ごめん、ごめんね、ちょっと強がる……」
「うん……」

 そして暖花は少し離れ、

「いつものついでみたいに……言わないでよ……っ」

 怒ったように手を振り上げ、そう言った
 しかし表情は笑顔。
 涙はもう、ぼろぼろとこぼれていた。

「うるせえなっ、カッコつけさせろっ」

 だから、おれも笑顔で。

「……あはは」
「ははっ……」
「……」
「……」

 笑い合い、見つめ合ううち、暖花の笑顔は次第にくしゃっとなってきて、徐々に、徐々に下を向き、

「……ごめん、もう限界っ……」

 絞り出すようにそう言って、涙を散らせて勢いよく、抱きついてきた。

「睦未っ、睦未、むつみっ!」
「おう」

 抱き留めた中から、呼ぶ声は嗚咽混じり。

「ホントにっ……ホントにいいのっ!? あたしが睦未の奥さんになってホントにいいのっ!?」

 背中に回った両手は、掻きむしるように狂おしい。

「良くなかったら言わない」
「うんっ……分かってる、それも分かってる……あたしっ、ごめんねっ、泣いてるよ……っ、泣いちゃってるよ……っ!」

 でも、さっき。
 笑って見せてくれた。

「愛してる、愛してます、睦未、愛してる……っ」

 愛してると何度も言い、ぎゅうとさらに強く、抱く手には力がこもる。
 暖花はもう、泣きじゃくっていて、

「うん、それで?」
「いっ、一緒のお墓に、……入れて、ください」

 そして、答えてくれた。
 肩口に涙の染みる感触。
 暖花は顔をすりつけていた。

「ははっ……なんだかあんまり色気のねえ返事だなあ」
「死んでも愛してるって言ってるんだよぅ……っ!」
「ありがとう」
「うん……うん……っ! あたしもありがと、睦未……っ」

 おれはその髪をなでた。

「暖花」
「うん……」
「待たせた」
「待ったよぅ……」
「ごめんな、でも、それが必要だと思ったんだ。思いつきだけじゃ、できないからさ」
「うん……うん……っ」

 あの夜と違う、短くなった髪。

「おれ、結構がんばって金とか貯めたんだぜ? なんつうかな、結婚しても大丈夫なようにさ、結婚資金ってのか。いやまあ、それで結構待ってもらっちゃってたわけなんだけども……」
「いいよっ……分かってた、分かってたから……っ」

 短くなったその理由は、生活していく、という現実感のなせるわざ。
 結婚生活を夢とか空想とかでなく、現実にしていこうと思って金を貯めていたおれと、同じなわけだ。

「結婚しようぜ」
「……うん、結婚しよう、睦未」
「あと、キスするぞ、また」
「あははっ……ついでみたいにしないでよぅ……っ」

 聞こえたと思ったとたん、唇がふさがれた。
 暖花の方からだった。

 *  *

 見上げたことにというべきか、いじらしいことにというべきか、おれが金を貯めているのなら、自分も金を貯めつつ、ウエディングドレスを自作していよう、と密かに思っていたらしい。
 やっぱり、睦未だけに負担をかけちゃアレかなと思った、ということだそうだ。

「……で、これはなんだ?」
「ウエディングドレス」
「……」

 目の前の物件をあえて表現すれば……一反木綿の子供。
 率直に言えば、どう見ても布おむつだった。
 あははは、と暖花は頭のうしろに手を回した。

「布おむつ……だよねぇ、これ」

 自分でも分かってはいるらしい。
 いやまあ、こいつが結果的にまるで違うものを作ってしまうケースは、一応自覚症状があるのだ、いつも。作り終わったあとにだけど。

「……これ、結婚式でつけるのか? おまえ」
「つけないよぅ!」

 やあだもう、といった感じで、上から下に右手がスイングした。

「つけても見えないじゃん。せっかく作ったのに」
「あのなあ……」
「睦未がつける? 見えるように」
「ウエディングドレスの花嫁と、おむつ一丁の新郎の結婚式って、どこの国の風習だ」
「和洋折衷って感じかなぁ。あと、国際結婚とか?」
「ったく……」

 頭を掻きつつ、ぴろ、とおれはウエディングドレスになれなかった布おむつを取り上げた。

「頭に巻いて、おれはインド出身だと言い張るか? それなら念のため、火を噴く練習とかしておくけど」
「いや、結婚式に着用、ってのにそこまで執着しなくてもいいよぅ」
「まあ、せっかくおまえが作った手前な」
「……嬉しいんだけど、喜んでいいんだか微妙だぁねぇ……」
「作ろうとしてくれた暖花の気持ち自体は、まあ、嬉しいからなぁおれも」
「やめてよ……また泣いちゃうってば」

 ぐしっ、と暖花は鼻をすすった。

「……ごめん」

 そのまま少しうつむき、口をとがらせてそう言った。

「なにが?」
「ウエディングドレス、失敗して。睦未はがんばってお金とかいろいろ、やってくれたのにさぁ、あたし、こんなじゃん」
「……」
「……ちょっと、我ながら情けない」
「そうでもない」
「え?」
「おまえはこれから、子供を産むだろう」
「……」
「それに比べれば、おれのやったことなんか軽いよな。まあ、頼んだぞ暖花」

 ぽん、と肩を叩いた。
 じわじわと暖花の目は大きくなる。

「あっ……あたし、睦未の子供産んで、いいんだ……」
「結婚は承諾してくれたんじゃなかったのか?」
「したした! めちゃくちゃした!」
「そうか、通じてなかったらどうしようかと一瞬不安になってしまったぞ」
「あははっ……」

 まるで、おれの指に指を絡めるように。
 暖花はおれの手ごと、おれの手の中のおむつに触れた。

「そっか……これ、あたしたちの子供につけたげればいーんだ……」

 言いながら、体はおれへと寄りかかる。
 おれはそれを抱き留めた。
 座るおれの腕の中に、しなだれかかっておれを見上げる暖花がいる感じ。

「そういうこと、だよねぇ?」
「暖花がうっかり他のものを作るのは、昔っからずっとだが」
「……」
「まあ、だからといって、食えなかったり使えなかったりするものを作ったことは、今までに一度もないからなあ」
「……」

 幸せそうに笑いながら、暖花はあごを上げ、こてんと頭を預けてくる。
 柔らかい体。
 短くなった髪の下、首元の風情。
 おれの角度からだと、襟首から深い胸の谷間、ブラジャーを着けていないその肉感まで、よく見える。

 何度も見ているけど。

「あのさ……胸の谷間、見えてる」

 なんだか、いつにも増して官能的に見えた。
 だからつい、そんなことを言ってしまった。

「あははっ」

 暖花は笑う。

「実は、見せてる。見えるようにした」
「……それなら、いっそ全部脱いで隅から隅まで見せろ」
「チラリズムがいーんじゃんよぅ。そう言ったの、睦未じゃん」

 体重がかかる。
 柔らかい体が押し当たる。
 襟元……のぞく胸の谷間から、馥郁たる体温が立ち上ってきている。
 自分の中で、発信体が同調し、ふるえはじめるのが分かった。

「さそってる?」
「うん。あはは、その、お風呂も入った、し……」
「ふむ」
「ね……睦未、その、……しよ」
「さそってるな」
「うん、さそってる……」
「でもな」

 そっと。
 おれは暖花の目尻を拭った。

「泣きながらその手の台詞は、ちとミスマッチ」

 頬には幾重にも、涙の筋。

「あははっ……ごめん」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、暖花は笑う。

「でもしょうがないじゃん……嬉しくってしょうがないんだもん……」
「また泣いちゃうからやめろ、と泣きながら言われたときは、どうしたものかと思ったぞ」
「あはは……ダメだねあたしゃ。こんなんじゃそそらないかぁ」
「いや、そそる」
「あっ」

 はしっと暖花の手が動いた。おれの動きが引き出したものだった。
 暖花は、ふるえる。
 おれもふるえている。
 温度は同じ。

「あ……明日お給料日だから、待ち合わせてどっか食べに行こうって……」
「そういうこと」
「カッコつけるんだから……」
「しょうがねえじゃん。じゃあ、やめるか?」
「やめないで、あっ、最後まで」
「最後まで……は、入籍とか済ませてからの方が良くないか?」
「そういう気分なんだもん……んっ、あ、しょうがないじゃん……」

 *  *

 カーテンの向こうから、3人分の女性の声が聞こえてくる。
 所在なく視線を巡らせれば、ハンガーにかかった白服がずらり。フリル、フリル、レース、レース、レース……あと演歌。
 言うまでもなく、式を控えての衣装合わせである。

「ここのカットがね、深い方がお似合いかと思うんですよ……」
「えっと、それはいーんですけど、こぼれたりしないですかねぇ……胸……」
「むぎゅ……おねえちゃん、お嫁さんみたい……」

 みたい、じゃなくてそのものズバリだ。
 聞こえてくる声に、つい心の中でつっこんでしまった。
 つうか、向こうは楽しそうで良いなあ。
 確かに結婚式の主役ははっきりいって花嫁だし、であるからこそ暖花には納得のいくドレスを選んでもらいたいと思うわけなんだが(男の着るもんなんて、どれ選んでも演歌歌手だしな)、しかし、その花嫁はおれのものなんである。
 おれもその試着室の中に入れてくれても良いではないか。係のおばさんはともかく、雪音よりは絶対器用に着付けをこなせるはずだ、おれ。

「むつみー、着てみたー」

 暖花の声で我に返る。

「おう、見せてみ」
「うん……」

 カーテンが開いて……。

「どっ……どうかな」
「……」

 今まで見たことない暖花がいた。
 背後にはニコニコしている係のおばさんと、嬉しそうな雪音と……さらにその背後の鏡の中で、顔を赤くして目を見開いているおれ。
 視線を戻す。
 純白のドレスに身を包んだ暖花が、照れくさそうにおれを見ている。
 腰が浮きかかり……あわてて自制。

「いい」
「へ?」
「すごくいい。お嫁さんみたいだ」
「みたいじゃなくて、そのものズバリだっての!」
「結婚するんだなあ、おれたち」
「今更なに言ってんのもおっ、あんだけいろいろしたのに……っ」

 台詞と一緒にグーの右手が振り上げかかり……たぶん、自制。そそそと元に戻る。
 両隣では、係のおばさんと雪音の笑顔。
 暖花と目が合った。
 無言の会話があった。

「それじゃ、このドレスに合わせて、旦那さんの衣装を見繕いますねえ」
「ちょっと待っててね……睦未ちゃん、おねえちゃん」
「あ、はあ、お願いします……」
「あはは……お願いします」

 おばさんと雪音はそろって退出し、花嫁衣装の暖花と、頭を掻くおれだけが残された。

「……気を遣わせちまったかな」
「いや〜……あはは」
「そのドレスに合うおれの衣装は、他の部屋にあるヤツなんだって思いたいところだな……」
「だぁねぇ……」

 かなり恥ずかしかった。
 また視線が合う。

「……」

 暖花は困った感じで、しかし頬を染めて、おれを見上げている。
 指先がたどたどしく、ドレスの刺繍をたどっていた。
 一歩、おれは歩み寄る。

「……その、ちょっと、触っていいか?」
「え、あ、うん」
「んじゃ……」
「あっ」
「ふむ、これなら別にこぼれないんじゃないか?」
「あっ、あっ……触るって……そこ……っ!?」
「気になったもので……」
「あっ、ダメ、形が崩れちゃうよぅ……」

 とそのとき廊下方面から物音が聞こえ、おれと暖花はほぼ同時に、勢いよく体を離した。

「……」
「……」
「……ただの通行人か」
「……うん、みたい」
「……ははっ」
「……あははっ」

 おれたちは笑い合う。
 そしてまた、視線が、からみ、

「……」
「……」

 浮かせかけた腰と、上がりかけた右手が、同時に動きを思い出し、
 体を離した勢いの反動も手伝って、

「んっ……」

 強く抱き合い、口づけを交わした。

「ちょっと、フライングかなぁ……」
「かもな」

 本来、花嫁衣装の暖花と交わすべきキスは、式本番で、神に向かって誓うものだけど。

「愛してる」
「うん……愛してる」
「はは、泣きながら笑うな」
「あははっ」

 今、おれは暖花に向かって。
 暖花はおれに向かって。
 誓いを交わしたわけなのだ。

「幸せか?」
「うん、もう、泣いちゃうくらい」
「でも、まだまだもっと、いくらでもだぞ」
「赤ちゃんの顔、早く見たい」
「言うまでもなかったか」
「でも、言って?」
「うん、泣きながらでも、笑うんだぞ。それじゃ……」

 耳元でささやけば、ふるえて、泣いて、笑う。そして。
 ドアが開いて二組の足音が入ってくるのを、おれたちは口づけ合ったまま聞いた。
終り